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新潟家庭裁判所 平成11年(少)1488号 決定

少年 B・I(昭和56.6.28生)

主文

少年を医療少年院に送致する。

理由

(罪となるべき事実)

少年は、生活費及び遊興費欲しさから、

第1  A(当時15歳)から金員を喝取しようと企て、平成11年10月4日午後4時20分ころ、新潟市○○町××番地×○△ラーメン脇路上において、同人に対し、「財布を出せ。」等と語気強く申し向けて金員を要求し、同人の財布の中に現金が入っていないことを知るや、同人に対して、「親に5万円借りたと嘘を言って通帳と判子を持ってこい。俺が銀行に行って降ろしてやる。もし、持ってこれなかったら、殴るぞ。」と語気強く申し向けた上、新潟市○□×丁目××番地の同人の自宅(以下「B方」という。)玄関前まで同人に同行したが、同人の母親であるB子(当時48歳)がB方から出てきたのを見て、自己の犯行が発覚したものと思い、金員を脅し取ることを断念して、その場から逃走しようとし、その目的を遂げなかった

第2  平成11年10月4日午後5時10分ころ、B方玄関前から逃走しようとしたものの、B子から呼び止められ、Aが自己の指示した通り、B子に少年から金員を借りている旨話したことを知るや、それを奇貨として金員を騙取しようと企て、B方玄関内において、B子及びAの祖母であるC子(当時70歳)に対し、「8月ころ、5000円、3000円を何回かに分けて貸していて、5万円になる。」、「9月にも3000円を貸していた。」などと虚偽の事実を申し向けて、その旨同人らを誤信させ、よって、同時30分ころ、B方玄関内において、C子からAの借金返済名目で現金3万3000円、B子から帰りのバス代名目で現金180円の交付をそれぞれ受けてこれを騙取し

たものである。

(事実認定の補足説明)

1  少年は、当審判廷において、平成11年10月4日、B子及びC子から、現金合計3万3180円の交付を受けたことは認めるものの、少年は、Aに対し、同年8月初めころから、同年9月にかけて、10回以上にわたり、現金3000円から5000円くらいずつ合計約5万円貸していたので、これを返すよう要求しただけであって、脅したことはない旨及び金員を本当に貸していたのであるから、B子及びC子に対しても、虚偽の事実を述べたのではなく、金員を騙し取ったことはない旨供述する。

2  少年は、当審判廷において、少年の取調べに当たった警察官から本件各非行を認めなければ逮捕すると言われた旨供述するので、まず、本件各非行事実を認める旨記載されている少年の司法警察員に対する平成11年10月25日付け及び同月28日付け各供述調書の任意性について検討する。この点について、証人Dは、当審判廷において、同人は、警察官として本件各非行について少年の取調べに当たったが、その際、逮捕も念頭には置いていたものの、少年が、同月25日、本件第2の非行の被害者の1人であるB子を見るなり直ちに本件各非行を認め、また、次回の出頭を約束したことから、身柄確保の必要がなく、逮捕を口にしなかった旨供述するところ、証人Dのこの供述は内容が具体的かつ自然であり、少年からの尋問によっても揺らいでおらず、その信用性を肯認することができる。他方、この点に関する少年の供述は曖昧であることからすれば、少年の供述はたやすく信用することができない。したがって、Dが、少年に対し、本件各非行事実を認めなければ逮捕すると告げた事実は認められず、任意性を疑わせるに足る事実はないといわざるを得ない。

3  (1) 少年の当審判廷における供述(第5回審判期日におけるもの)、少年の司法警察員に対する平成11年10月25日付け及び同月28日付け供述調書、証人Aの当審判廷における供述(1部)、同B子及び同Dの当審判廷における供述、A、B子(2通)及びC子の司法警察員に対する各供述調書並びに被害届によると、次の各事実を認めることができる。

ア  少年は、平成11年8月ころから、住所地のアパートに1人で暮らしていたが、毎月、アパートの賃借料として1月4万1300円、水道光熱費として1月約2万円、食費として1月約1万5000円、携帯電話の使用料として1月約3万円、タバコ代及びゲーム代として1月3万5000円の支出があった。

さらに、少年は、そのころ、知人のE子に対し、携帯電話の料金並びにアパートの敷金及び礼金を払うために借りた借金が約28万円あり、母等に対する借金が約100万円存したほか、祖母及び妹に対しても数万円の借金があった。

少年は、同年9月から、有限会社△△で工事現場における交通誘導のアルバイトを始めたが、これによる収入は1月約14万円であり、前記の毎月の支出と比較すると赤字になり、経済的に余裕がなかった。このため、借金はまったく返済せず、かえって、同年8月及び9月ころ、知り合いの中学生及び高校生からそれぞれ現金数千円ずつを借りた。

イ  少年は、平成11年10月4日、アルバイトが終わった後、新潟市○○町××番地ゲームセンター△□(以下「△□」という。)に出掛け、約2時間、ゲームをした。帰ろうとして、出入り口から外に出たところ、出入り口の前で自転車に鍵を掛けようとしていたAに会った。少年は、Aの氏名は知らなかったが、Aが、少年の知り合いの高校生であるFの友人で、同人と同じ高校に通っていることを知っていた。少年は、Aが弱そうに見えたことから、脅して現金を取ろうと考え、Aに対し、Fの知り合いだろうと声を掛けた上、Aを△□の向かいにある○△ラーメンの脇の人通りの少ない小路に連れ込んだ。少年は、Aに対し、財布を出すように語気強く申し向けたところ、Aは、怖がってすぐに財布を出して見せたが、財布には札が入っていなかった。そこで、少年は、Aに対し、さらに、金員を持っていないのかと問い質したところ、Aが、家にある銀行の通帳に20万円か30万円かある旨答えたため、下ろして持ってくるようすごんだ。すると、Aが、どこにあるかわからない旨答えたので、少年は、Aに対し、俺が倍にして返してやるから、親に俺から5万円借りたと嘘を言って持って来いと命じ、さらに、持って来なかったら殴るぞと告げて脅した。

ウ  少年は、その後、AについてB方に行き、玄関の外で待った。Aは、いったん家の中に入り、B子のゴミ出しを手伝って外に出たところ、B子が、少年を見て、Aに対し、誰なのかを尋ねたため、Aは、少年に言われたとおり、少年から5万円借りた旨話した。他方、少年は、B子を見て、Aを脅したことが発覚したと思い、逃げようとしたが、B子に呼び止められ、玄関の中に入った。B子は、少年に対し、Aに5万円貸しているかと尋ねたため、少年は、Aが、自分の指示通り母に嘘を付いたことがわかり、自らも、B子に対し、同年8月から、1度に現金3000円から5000円を、何回かに分けてAに貸しており、全部で5万円になる旨嘘を付いた。B子は、さらにAに問い質したが、Aは、少年がいたことからなおも借りた旨答えたので、B子は、少年に対し、証書でもあるかと尋ね、少年は、ないとだめですかねなどと答えた。すると、廊下に立って、少年らのやりとりを聞いていたC子が、孫の借金は返済しなければならないと考え、少年に対し、手元に3万円しかない旨述べて、現金3万円を渡した。少年は、より多くもらおうと考え、同年9月にも3000円貸しているなどと話したところ、C子が、さらに、少年に、3000円を渡した、少年は、C子から、領収の証しを書くよう要求され、渡された封筒に、自分の氏名と受取額として「33000」と記載し、返した。

少年は、その後、Aに口止めをしようと考え、Aに対し、帰り方が分からないので、途中まで送ってくれと頼んだが、B子が、自分がバス停まで送る旨述べた。少年は、口止めすることをあきらめ、B子及びC子に、返済してもらった礼を述べると、B子が、少年に対し、バス代としてさらに180円を渡し、2人でB方を出た。

残ったC子が、Aに対し、何故5万円も借りたのかと尋ねたところ、Aは、本当は金員を借りたことはなく、少年に、5万円渡さないと殴るぞと脅されたので、嘘を付いた旨話した。C子は、これを聞いて直ちにB子を追いかけ、B子に対し、その旨告げた。B子は、少年に対し、問い質したが、少年は、Aが嘘を付いている旨返答した。B子は、Aの友人のGなら△□によく遊びに行くので事情を知っているかもしれないと考え、バス停付近のGの自宅に行き、Gとその母に対し、Aが少年から金員を借りたのを見たことがあるかどうか尋ねたが、Gは、見たことはなく、Aが少年から金員を借りたかどうかわからない旨答えた。少年は、このままでは警察に通報されるかもしれないと危惧し、連絡が入っていないにもかかわらず、携帯電話を取り出し、話をしている振りをした上、急に仕事で呼び出された旨告げ、逃げた。

(2) Aは、司法警察員に対する供述調書においては、前記(1)に沿う内容の供述をするが、当審判廷において証人として供述した際には、少年から脅されたことはない旨、5万円を貸してくれたら倍にして返すという少年の言葉を信じた旨、さらに、少年がB方についてきたとき、怖くなかった旨供述し、その後、さらに、当審判廷において、本件各非行当日、少年から、殴るぞと言われたことがある旨供述し、内容が変遷した。

前記(1)ウのとおり、Aは、本件各非行当日、少年がB子とともにB方を出た直後に、C子に対し、本当は金員を借りたことはないが、少年に殴るぞと言われたので、嘘を付いた旨話したこと、また、同人は、当審判廷において、膝に置いた手が震え、質問されてから返答するまで長い間沈黙し、また、返答もしばしば途中で途切れ、さらには、脅すという言葉の意味がわからない旨供述するなど相当程度緊張していたといえること、少年から金員を借りたことについては、当審判廷においても終始否定したことに鑑みれば、証人Aは、当審判廷において、脅されたことがないという言葉の意味を正確に理解した上で、この趣旨の供述をしたとは考えられず、同人の当審判廷における供述のうちこの部分は信用できず、司法警察員に対する供述調書の内容及び少年から殴るぞと言われたことがある旨の当審判廷における供述の方が信用性が高いといわざるを得ない。

(3) 前記1の少年の供述についても、前記(1)アのとおりの本件各非行当時の少年の生活状況からして、他人に現金を貸す経済的余裕はなかったといえること、前記(1)イのとおり、少年がAと話をしたのは、本件各非行当日が初めてであったこと、少年は、当審判廷において、前記1の供述をした後、唐突に内容を翻し、本件各非行を認める旨の供述をするなど供述の経緯も非常に不自然であることに加え、少年から金員を借りたことはない旨の当審判廷における証人Aの供述に照らすと、これを信用することはできない。

(法令の適用)

第1の事実につき 刑法250条、249条1項

第2の事実につき 同法246条1項

(処遇の理由)

1  非行歴

少年は、平成11年6月28日、軽四輪貨物自動車の無免許運転の非行を犯し、同年10月14日、当裁判所において、新潟保護観察所(以下「保護観察所」という。)の保護観察に付する旨の決定を受けた(当庁平成11年(少)第××号事件)。

2少年の生育歴等

(1)  少年は、実父母の間の第1子長男として出生し、1歳年下に妹がいる。実父は、少年が2歳のころ、許欺罪で服役し、刑務所を出所した後、母以外の女性と交際を始めた。他方、母は、勤務先のスナックで客として来たH(以下「養父」という。)と知り合い、1人で自宅を出、養父とともに暮らし始め、少年と妹は、約1年間、実父とその交際相手の女性とともに暮らした。

実父母は、結局、少年が小学1年生の昭和63年9月、協議離婚した。実父は、母が少年及びその妹を引き取ることに反対したが、母は、実父と交渉の上、少年らを引き取り、平成元年3月、養父と婚姻し、同時に、養父は、少年及びその妹と母の代諾によりそれぞれ養子縁組した。

(2)  少年は、小学校低学年のころから、万引きをしたり、嘘を付いたりし、養父は、そのたびに、厳しい体罰を加え、母は再婚の負い目などからこれを止めなかった。

少年は、中学校に入学した後も、虚勢を張り、その場しのぎの嘘を付いたりすることが多く、校内で窃盗を行ったこともあった。その結果、友人から孤立しがちで、いじめられたりし、途中からは所属するクラスの教室に入らず、保健室で過ごすことが多かった。また、自ら、新潟中央児童相談所(以下「児童相談所」という。)に電話をし、学校でいじめられること及び養父の叱り方が厳しいので家にいたくないこと等を相談した。

(3)  少年は、中学校卒業後、母及び養父(以下、併せて「両親」という。)の説得により、平成9年4月、県立工業高校に入学したが、なじめず、同年夏には登校しなくなった。少年は、賭け麻雀を始め、両親のところに、相手から少年の負けた分の支払の催促の電話がかかってくることがあった。また、知人の原動機付自転車を無免許で運転して自損事故を起こし、両親が、所有者に対し、原動機付自転車の修理代を支払った。少年は、このころから、両親とけんかしては家出を繰り返すようになり、同年10月ころには、高校の職員の相談により、児童相談所で一時保護された。児童相談所は、このとき、両親を呼び出した上、少年に対し、家出しないこと及び将来をきちんと考えることを指導し、両親に対しては、少年の話を聞くよう助言し、少年を自宅に帰らせた。

少年は、平成10年1月、高校を中途退学した。このころから2歳年上の女性と交際を始めたが、少年が、養父の入院中に、この女性を自宅に連れ込んだりしたため、両親とけんかになり、家出し、女性が新潟県長岡市内で就職したのに伴い、長岡市内で2人で暮らすようになった。その後、少年らは、東京都内で暮らしたりしたが、女性の妊娠が判明したため、それぞれ新潟市内の実家に戻り、女性は中絶手術を受けた。少年の両親は、この費用を負担した。

少年は、しばらくは実家に居たが、不規則な生活を続けたため、同年秋ころ、養父とけんかになり、家出した、少年は、その後も、母方祖母から借金するなどして新潟市内で女性と2人暮らしをした。しかし、生活費が続かず、平成11年5月ころ、女性の方から別れた。

(4)  少年は、平成11年6月ころ、飲食店で知り合った約10歳年上のE子と交際を始め、E子のアパートに転がり込んだ。しかし、その後、E子の所有する自動車を運転して前記1の非行を犯したり、E子に買ってもらった携帯電話の使用料を支払わず、E子が立て替えざるを得なかったことなどから、次第にこじれ、少年は、E子とその知人から金員を借りて、同じアパートの別の部屋を借りて暮らすようになった。しかし、少年が、まったく借金を返さなかったため、E子は、同年夏ころには、少年の両親を訪ね、苦情を述べた。少年の両親は、少年に仕事をするよう約束させた上、E子の知人に代わって少年のアパートの保証人になった。少年は、母を通じて当時の母の勤務先に雇用してもらったが、1日しか行かなかった。

(5)  少年は、平成11年1月ころ、風俗店で会社員のIと知り合った。少年から身の上話を聞いたIは、少年に同情し、食事をさせたり、行くところがない旨聞いたときは、自宅に置いてやったりした。また、Iは、少年から、新聞勧誘の会社に勤めるので、スーツを購入する資金が必要だと頼まれ、現金約7万円を貸してやったほか、しばしば少年から頼まれて金員を貸したが、現在までに、少年から1万円の返済を受けたにすぎない。

(6)  少年は、高校中退後、何度か就職したが、長いときで3か月、短いときでは、前記(4)のとおり、1日しか続かなかった。

3  本件各非行前後の生活状況及び前件による保護観察中の行状

(1)  本件各非行前後の生活状況は、前記事実認定の補足説明に記載のとおりであるが、少年が、本件各非行を犯したのは、前件について、家庭裁判所調査官による面接調査を受けた後、審判を受けるまでの間であった。また、少年は、前件についての家庭裁判所調査官による調査の際、両親を憎んでいる旨述べ、両親と同席することすら拒否した。

(2)  少年は、本件各非行のほかに、同年8月、△□で知り合ったFから、親がゲーム代をくれないので、ゲームができない旨の相談を受け、少年が、Fの母に対し、Fが少年から現金5万円を借りた旨の虚偽の事実を述べて、現金3万円の交付を受けた(ただし、Fの母が被害届を出さなかったので、立件されなかった。)。受け取った現金は、Fに渡さず、すべて少年が費消した。

また、平成11年秋ころ、本件第1の非行の他にも何度か高校生を脅して金員を取った(ただし、少年は、当審判廷において、これらについて、ゲームセンターで見知らぬ数名の男に囲まれ、殴られた上、恐喝するよう命令されたので、仕方なくやった旨供述する。)。

(3)  少年は、前記1のとおり、同年10月14日、保護観察に付され、同日、母とともに、保護観察所に出頭して説明を受けた。少年は、本件各非行について警察から取調べを受けた同月中旬から同月下旬にかけては、保護観察所にしばしば連絡を取り、取調べに対する不安や不満を訴えた。しかし、それ以後は、一度も保護観察所に出頭せず、担当保護司宅も訪れなかった。少年は、金員が無くなると、自宅に帰り、母に金員を無心し、断られると母の髪の毛をつかむなどの暴力を振るい、母は、同年11月15日、保護観察所にその旨連絡した。また、Iも、同日、保護観察所に赴き、少年から金員を無心されて困っている旨相談した。担当保護司は、同年12月31日、少年の住居を訪れたが、少年は、交通に関する学習に関心を示さず、担当保護司は、それまでにも2度少年と電話で話したが、少年に嘘が多かったため、その生活を把握することはできなかった。Iは、平成12年2月1日にも、保護観察所に対し、少年から、夜中に電話があり、金員の無心をされる旨苦情を述べた。

4  少年の心身の状況等

(1)  少年は、幼少期に、母が少年を置いて出て行ったこと、また、その後、養父から厳しい体罰を受けたこと、母もこれを止めなかったことなどから、不遇感が強く、性格が屈折しており、他人との間に、適切な距離を保ちながら信頼関係を築くことができない。すなわち、愛情に飢えており、他人に対して、自分のために何かしてくれることを要求するが、本来の自分に自信がないので、自分をよく見せようとして嘘で塗り固める。また、自分の問題点には目を向けようとせず、自分に都合が悪くなると、相手を威嚇したり、哀願して相手の同情を引こうとする傾向がある。このため、少年は、対人関係において、当初は同情を得ることが多いが、次第に相手にされなくなる。

(2)  少年は、生後6か月のとき、喘息で病院に入院し、平成9年11月ころ(当時16歳)及び平成10年8月ころ(当時17歳)にも、喘息で入院した。また、平成9年7月には、嘔気、嘔吐、食欲低下及び体重減少を主訴として精神科に通院し、身体症状を主症状とする適応障害と暫定的に診断され、薬剤が投与された。その後、喘息で入院中の同年11月、再び精神科を受診し、身体表現性障害(心身症)と診断され、平成10年中にも精神科に通院したが、いずれも精神療法が施されるにとどまった。母は、当審判廷において、少年は、自分に都合の悪いことがあると具合が悪くなる傾向があった旨供述するところ、少年は、本件について、当裁判所に在宅で送致された後、平成12年2月21日、観護措置決定を受け、新潟少年鑑別所(以下「鑑別所」という。)に入所したが、鑑別所で注意を受けた後、自傷行為に出ようとしたこと、また、観護措置をとられることについてあきらめた後も、食事を取ろうとしたものの、ストレスによる食欲不振から観護措置期間中に体重が約6キログラム減少したことからすれば、必ずしも少年自身が意図しているわけではないとしても、上記傾向があることは否定できない。

5  保護環境等

少年は、両親から厳しく叱られるばかりで、受容されなかったことに激しい恨みを抱き、両親に迷惑をかけることにより恨みを晴らすとともに甘えてきたということができる。しかしながら、少年の借金の尻拭い等の後始末は、両親の少年に対する拒絶的な対応を強くするばかりで、悪循環に陥った。

少年は、鑑別所に収容され、少年院へ送致される可能性を意識した後は、養父が、少年のことを自分の子供であることに変わりはないと述べた旨を母から聞き、これを好意的に解釈し、養父を自分にとって重要な存在であると考え、その話を聞こうとする姿勢が生じた。しかしながら、母に対しては、依然として何を要求してもよいと考えており、未だに強い恨みと甘えが混在すると推察できる。

両親は、本件以前から、これ以上少年の面倒をみることはできないので、少年院に収容してほしい旨希望していたが、当審判廷においても、鑑別所に入った後の少年の言動を見ても、母に対する態度は従前と変わらないことなどから、今後、実家に戻っても、以前と同じことになるだけである旨述べ、少年院への収容を希望する。

6  少年の処遇についての判断

前記5のとおり、少年は、鑑別所に入所した後、養父に対し、歩み寄ろうとする姿勢を見せており、この点では、前件時より成長したといえるが、本件各非行が、前件の調査後審判までの間のものであることからして、規範意識が乏しいといわざるを得ないこと、本件各非行について真剣に反省している様子はまったく見られなかったこと、本件各非行以外の立件されていない恐喝についても、行ったこと自体は認めながらも不自然な弁解に終始し、反省はなかったこと、当審判廷において、これまでの生活における問題点として、仕事が続かなかったことだけをあげ、その他の自分に都合の悪いことにはまったく触れず、自分の問題点を考えるどころか、振り返ろうとする姿勢すら見られなかったこと、そのため、今後の生活についても、仕事をして親とうまくやっていくと供述するにとどまり、具体的にどうすればよいのかについてはまったく考えが及んでいないこと、両親に指導・監督の意欲がないこと及び保護観察所による指導も期待できないこと、これらの事情を考慮すれば、少年を在宅で処遇した場合、実家に戻ったとしても、早晩両親とけんかになり、家を出、保護観察所による指導にも従わず、金員に困って他人から借金をしたり、本件各非行と同種の非行を犯すおそれが極めて大きいといわざるを得ない。そうすると、現時点において、少年を少年院に収容し、嘘が通らず、逃避できない環境の下で、虚勢を張らずに他人と接する方法を少しでも体得させるとともに、規則正しい生活を通して規範意識を養い、さらに、両親との関係を改善すべく、これについて考えさせる必要がある。少年院の種類については、少年には、前記4のとおり、喘息の発作の可能性があること及びストレスによる食欲不振に対する医療措置が必要であることから、医療少年院が相当であると判断した。

7  よって、少年法24条1項3号、少年審判規則37条1項を適用して少年を医療少年院に送致することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 武田瑞佳)

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